課題で映画をコミカライズする事になったのだが、課題作がいくつかあり、そのうちの一つがコレだったからだ。
みた感想を手短に書くと、ひたすら怖かったの一言に尽きる。
この感情はどこから出てるんだろうか。
どうやって抱かせているのか。
方法を理解できれば、この恐怖を自分の作品でも再現できるかも知れない。
何故怖いと感じたのだろう?
この主人公がひたすら転落していく感じが怖くてたまらなかった。
本人は上がっていっているような感覚なのだが、観客にはそれが「壊れていっている」ように見える。
しかも主人公が実践していることって、若干ファイトクラブなんだよなぁ。
自分はファイトクラブが好きな人間なので、ファイトクラブの退社シークエンスは思いっきり前のめりで見ていた。
だが、アメリカンビューティーは「ファイトクラブをマジでやったらこうなるよ?」みたいな事を見せつけてきているきがしてとても恐ろしくなった。
死せる自由か、生ける隷属か。
死に瀕してでも自由を勝ち取れ!というのは西洋的な教えでありがちなパターンだが、自由の代償がここまでのモノになるなら、私は自由を欲せるかわからない……。
進撃の巨人でも、似たような台詞があった。
自由を求めて反政府活動を行なっていた人物が捉えられ、凄惨な拷問を受けた後のシーン。
そこでその人物は「自由の代償がこんなに重いと知ってたなら、自由なんか求めなかった……」という趣旨の言葉を放つ。
それでもその人は結局自由を求めた。
それは、上の発言をした段階で、すでに自由への道を歩み始めてしまっていたからだ。
道のりがどれほど険しく、今後も苦しい思いをする事が分かってしまったとしても、もう退路はない。
進むしかなかったのだ。
私はどうだろうか。
自由を求めて就活もせず、webライターのまねごとを4年続けたが特に何にも成らず。
私は自由が欲しかったし、手に入れられると思っていた。
思い込んでいた。
しかし現実は違ったのだ。
私は結局、4年という歳月をかけても……何の成果も得られませんでした!!
私が無能だったばかりに! ただいたずらに時間を浪費し! 書き物仕事に就くことはできませんでした……!!
というのはまぁ悲しい。
が、幸いなことに私はまだ道の手前にいる。
今ならまだ引き返せる。
自由を手放して奴隷となる代わりにそれなりの安定を望むか。
それとも自由を守るため、安定を得られないどころか色んなものに邪魔される道を選ぶのか。
……なんか冷静に考えるとこんな事をもう何年も考えているな。
このまま結論出ないんじゃないか?