バイトしながらマンガ家目指す人について

 

バイトしながらマンガ家目指すという人は多いと思うのだが、今日はその是非について考えていた。

で、その結論から書くとこうなる。

「マンガ家になるだけならバイトなんかしないほうがいい」

 

当たり前の話だが、マンガ家になるために必要なのは描く時間だ。

そしてバイトをすれば1日の可処分時間は減る。

なのでマンガ家に最短でなるにはバイトをしないでマンガを描くべきだと言えるだろう。

 

ただ、問題はここからで「マンガ家を続けていくにはバイトをしていた方がいい」という反転が起こる。

これは単純に経験の不足だ。

作品には作者の知識や経験が大いに反映される。

 

例えば人が死ぬシーンなんかがそうだと思う。

私は2019年に祖母を亡くした。

祖母が亡くなる日に私は大学が休みだった*1ので、ちょうどその瞬間に立ち会えた。

 

よく人が死ぬ間際に何かを言い残して死ぬみたいなくだりがある。

フィクションにおいてはありふれた展開だが、自分の祖母は(そしておそらく大部分の人が)そうではなかった。

祖母は入院していたのだが、酸素マスクをつけていて呼吸するたびに体をのけぞらせていた。

言葉らしい言葉は話せておらず、「おぉぉぁ」みたいなうめき声がたまに聞こえるくらいだった。

ずっと手を握っていたが、本当にあっという間に体温がなくなっていった。

道端でトカゲを見つけた時、ものすごい速さで逃げられた事があったが、アレに近かった気がする。

とても悲しくてとにかく泣いたのを覚えている。が、帰宅したら何気なくゲームで遊べるくらいの精神状態になった。

やったのは超ポケ。

一瞬目の前が真っ白になって倒れたが、数時間後には何食わぬ顔で晩飯を食っていた。

風呂に入ってる時に、最期にもう一度この家に帰してあげたかったなと思った。

その日は寝る前にグッバイレーニンを見た。

 

なんか暗い話になって申し訳ない。

つまり何が言いたいかというのをズバリ言おう。

それは「自分はもう『死ぬ間際に何かを言い残すシーン』を信じられない」という事だ。

 

あの時までは死というものをぼんやりと捉えていた。

だけど知ってしまった。

死というものがどれほど無骨なものかを。

なんと言うか、カッコいいもんじゃないんだ……と思った。

それ以来、創作でそういうシーンを見ると微妙な気持ちになる。

 

無論、例外もある。

本来何も喋れないほど苦しいのに、それを耐えてまで伝えたい事があるみたいな演出なら感動するし、納得もできる。

ただ、安易に泣かせにくる感じの死に際シーンが寒々しく見えるようになったというだけだ。

 

で、こういう事っていっぱいあるハズで。

それらをひとつひとつ潰していく事が、自分みたいに「冷める読者」を減らすことに繋がっていく。

 

だからマンガ家になりたいだけならバイトなんかしなくていいんだと思う。

バイトというか社会経験か。

社会経験を。

ただ、マンガ家になった後。

面白いマンガ……というか心に突き刺さるようなモノを描きたいのなら、社会経験を積んでいる方が有利に進められるんじゃないかと思う。

 

だからバイトは無駄じゃない!

バイトは怖くない!

でも……それでもっ!

守りたい世界(=実家に寄生してマンガを描く生活)があるんだ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイト探さんとなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※この記事にはおばあちゃん死ネタが含まれます。 

苦手な方はブラウザバックしてください。

まぁここまで読んだ時点で手遅れだろうがな! ガハハ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

すみません。

 

 

*1:とは言ってもこの頃は大学のモチベが0だったので毎日自主休講だった。お陰でもう一年遊べるドン!した。