恵方巻きはお座敷遊びが元という話を古文の先生から聞いて以来そのうんちくを披露する機会を狙っていたがそのチャンスを掴めないまま今日まで生きてきた俺が突如異世界に転生したら恵方巻きのうんちくだけで言論無双してめちゃくちゃ崇め奉られてんだがw

 2月2日。

僕はあの日、世界の本質のその一端に素手で触れた。

そんな気がした————————。


まぁなんてことはない話です。

恵方巻き工場でバイトしてきましたよってただそれだけのことですね。

朝から夜までの勤務を10時間ほどしてきました。

いやキツかったですね。

キツいってのは業務内容がってのもあるんですが、何と言っても環境です。


自分がどれほど甘えた人間で、生ぬるい場所に生きてきたかをまざまざと突きつけられる思いでした。


今回の件で気付かされました。

本当に辛いことは、ヤバいクレーマーの対応をさせられることじゃない。

過酷な業務を長時間強いられることでもない。

それは、言葉が通じないことなのだと。


従業員のほとんどが日本人ではなかったです。

中国人、韓国人、ミャンマー人(?)、フィリピン人……おそらく出稼ぎ労働者というやつでしょうか。

とにかく周りにいる人たちはほぼほぼ上記のいずれかでした。

もちろん日本で働いているので、日本語で話しかけても分かってはもらえますし、相手の方も日本語で指示を出したりはしてくれます。

ただ、自分の耳に入ってくる言葉がどれも日本語じゃないという状況にはとても恐怖を感じました。

どこか日本ではない場所に迷い込んでしまったかのような感覚。

おかげで「辛い」とか、「帰りたい」とか「辞めたい」とか、そんなことは一度も思いませんでした。

頭にあったのはただただ「怖い」と言う事だけ。

いや〜心細かったなぁ……。

自分がモタモタと作業した後、従業員の方が何語かで何かを言って笑ったりすると「コイツマジ使えねーなw」「それなw」みたいなこと言われてんのかな……とか被害妄想になりかけたりしました(^◇^;)


ちなみに作業内容は簡単で、「ベルトコンベアで流れてくる海苔」にご飯を乗せるというただそれだけです。

ただそれだけではあるんですが、結構大変でした……。

まぁ詳しくは書きませんが、ご飯を包んであるフィルムを剥がすのに手間取ったり、崩れたご飯の形をうまく整えたり、ご飯がなくなったら補充したりなんだりでとにかく流れに間に合わなくなるんですよねぇ。

そもそも特にチュートリアルも無く、「これであってんのかな……?」と迷いながらやるのでそれも遅れる要因かと。


まぁ何時間かやる頃には慣れてきたんですが、それでも気を抜くとすぐに間に合わなくなってライン全体を止めるハメになりました。

その節はすみませんでした。


トイレ休憩とかもなしで、昼食1時間で9時間みっちりでした。

10時間(実働9時間)とかってもっと緩い印象がありましたが、流石に工場くらいシステマチックな場所だとマジでキッチリかっちり実働9時間ですね(^◇^;)


で、今回1番興味深いなぁと思ったのは人種に関してです。

先ほども書いたように、従業員はほぼほぼ外国の方なんですが、管理職的なポジションになると急にほぼ日本人になるんですよね。

実際にラインに立って作業にあたるのは外国人なんですが、ボードとペン持ってチェックに来る人はみんな日本人という。


「あーーーーーーー!!!! ママーーーーーーー!!! カースト制みつけたーーーーーー!!!!!! カースト制みつけたよママーーーーーーー!!!!!!」


もちろんライン側にも日本人は居たのですが、皆目がバキバキでかなりガン決まってる人が多かったです。(自分が会った人がそうだっただけかも知れませんが)


誤解を招くようですが、自分はこれについて何かを言う気はありません。

工場での勤務はかなりキツくて、正直カイジの地の獄を思わせる雰囲気でした。

しかし、ここで働く彼らはもらっている給料に対してのこの労働を受け入れているワケで、それは契約が成立してるってことで……。


何より、今まで何気なく買っていたコンビニ弁当とかも実はこういう労働によって生産されていたのだとしたら、自分も彼らの労働の恩恵を受けていた張本人であって、つまるところ、彼らに工場での勤務を強いているひとりは間違いなく私であるワケで……。


だからこれについては何も言えません。

いう資格なんてない。

それが分かっただけでも良かった。

今回のバイトは貰った金額以上に価値を持つモノでした。

普段立ち寄るコンビニ。

そこに並べてある弁当、おにぎり、海苔巻き……。

なんとなく「工場の機械とかで作ってんだろうな」としか思っていなかったそれらは、実は人の手によって作られていて、その作業は決して軽いモノではなかった。

そんな事とは無関係と思えていた自分も、実はそこにお金を払う事によって間接的にあの工場を肯定していたんですね。


今回気づいたのは「どんな物でもそれを作った人がいる」という世界の本質、そのひとカケラです。

こんな当たり前のこと*1でも、実際自分がその場に立たないと分からないというのは呆れた愚かさ加減ですね。


愚かな自分には、もう言えることは何もありません。

私は何もモノを知らないし、何も分かっちゃいない。


ただこれだけは言えるということもあります。

自分は今年恵方巻きを買いませんでした。

そしておそらく、これから先も買わないでしょう。