買う事と買わない事
僕たちは買い物をする時「買う」か「買わない」かの選択を迫られます。
で、今日までそれら二つの選択肢の重みは同じと思っていたのですが、
実際の所そうではないのだとようやっと気づきました。
「買う」「買わない」という表面的なレトリックにだまされていたようです。買うか買わないかという選択肢は実は不正確。
これを正確に表現すると
「今『買う』」か
「一生『買わない』を選択し続ける」か
になります。
「買う」という選択肢は、買うと決めた瞬間に、その場で全プロセスが終わります。
そりゃ金払って品受け取って、それで終わりですからね。
しかし、「買わない」を選ぶ場合は逆で、『その場では買わないという選択を未来永劫選び続けていく』という事です。
ふと立ち寄った店で見かけたとき、友人が持ってるのを見かけたとき、好きなYouTuberがそれを持ってる事を知ったとき……
ことあるごとに表示される「買いますか?」というダイアログ。それに対して、何度も何度も「買わない」を選び続けなければ成立しない。
それが「買わない」という選択肢なのですね。
明らかに選択の重みがバランスしてない。
これでは「買わない」を選択するのは難しいと言わざるを得ないです。
そういえば誰か*1が「強烈に欲しいと思った物っていうのは、最終的には手を伸ばしてしまうモノ」と言っていましたね。
では欲しいと思ったものを全て買うしかないのか?
そんなことはないでしょう。
というかなければ石油王の配偶者でも無い限り人生終わりなので否応なく考えねばなりません。
パッと思いつく範囲で考えつく方法は3つ
- 似たものを持つ
- 借りる
- 遮断する
それではこれらをひとつずつ
深く掘り下げていきません。
普通にこの話題はもう終わり
彼は敵じゃない
今日は散歩ついでにスーパーへ行った。
休日と言うこともあってか、スーパーは混み合っている。
さすがに駅のホームとかほどではないが、気をつけて歩かないと人とぶつかりそうだ。
で、そんな店内で店員がカゴを積み上げてた。
自分はその横を抜けようとしたら、店員が大きく動いて思い切り僕とぶつかった。
ぶつかった男性店員は、その時に初めて「自分の体に伝わった衝撃の発生源」が僕だと気づいたのだろう。
店員はチラッと僕を見た後、舌打ちした。
それに対して僕はというと、紳士的に笑顔で「ごめんなさい」と告げてその場を後にした。
……ら良かったのだが、僕も人混みでイラついてた*2ので、普通に舌打ちで返した。
騒がしい店内。個々人の言葉はかき消えて耳に届かない。
それでもその瞬間だけ、たった二人にしか聞こえない
「チッ」
「チッ」
というやりとりが生じた。
今思い返してみるとシュールで面白い。
クラクションでの挨拶みたいだ。
とはいえ、その時は結構腹が立っていた。
店を出てしばらく歩いてもムカついたままだった。
が、信号待ちで立ち止まった時、ふと我に帰る。
「違うだろ」と。
怒るべきはアイツじゃないだろと。
僕もスーパーでバイトしてた経験があるので、彼の気持ちは分かる。
娘と連れ立って笑顔で買い物してたクセにレジに来た途端に仏頂面で高圧的な態度を取る母親とか、
ウチで買ったもんじゃないのにクレームつけてくるジジイとか、
何も打ち間違えてないのに「ちょっと間違ってんじゃないのここ!」とか目ひん剥いてがなりたてるババアとか、こと接客業ってのはムカつく事が多い。
ひょっとすると彼もまた、それらにウンザリして腹が立ってたんじゃなかろうか。
俺だって客と喧嘩しかけて「もうダメだな俺」って思ったからスーパーのバイトやめたんだし。
そう思うと彼の行動の全てを否定することはできないなと感じた。*3
であるならば、彼は俺と同じ存在であって、助け合うべき相手だ。
戦うべき人ではない。
そう、それはいわば同士討ちで、味方同士でいがみ合ってるようなモンなのだ。
俺たちはチカラを合わせるんだぜ兄弟。
真に戦うべきは利権にしがみつき、俺たちの労働を貪り散らかす魑魅魍……あ、そうか。
こういうことをマンガで描けば良いのか~。
なるほどなぁ……といういかにも次トピックの導入っぽい終わりで、次の話題に繋がる
熱意の不在
最近なにも作ってません。
創作活動を自分のアイデンティティに結びつけて生きてきたので、割と希望を失わずにここまで生きてこられました。
しかし、最近はその創作がうまくいってない。
ていうか何もやってない。
何もやる気が湧かない。
そもそも俺なにがしたかったんだっけ。
何か描きたいこととか、伝えたいこととか、「世の中に投げ込まないといけない!」と想ってた物がいっぱいあったハズなんだけどなぁ。
僕は牙を抜かれてしまったのかも知れません。
あるいは折られたのか。
威勢の良いこと言って好き勝手やってられたのは、そういう立場だったから何だなと少し失望しています。
結局いい年こいて親の庇護の元で、朝起きてマンガ描いて、家族に作ってもらった昼飯食って、散歩して本読んでYouTube見てゲームやって寝る。
小学生じゃんライフサイクル。
そういう生活をしていたから俺は心を平穏に保てていたんだなと痛感します。
ちょっとバイトはじめてちょっと忙しくなったくらいでもうこんなに弱気になって脱力して意地汚くなって。
俺ってこんな人間だったんだって心底ガッカリしました。
みんなそうなんでしょうねきっと。
新社会人の人はまずこの洗礼を受けるんですね。
こんな事に負けたくないと思う自分がいる一方で、別に勝たなくてもよくねと想う自分もいる気がする。
ポジティブな諦めなら良い。
次の何かに向かうために、今のこれを諦めるのなら。
でもただ単にふてくされて誰かのせいにして今後の人生を全部捨ててしまうのだったらイヤだ。
でもこれがポジティブな諦めなのか、ネガティブな諦めなのかわからない。
分からない以上はとりあえず手を動かしながら答えを待つしかない。
じゃあとりあえずマンガを描こう……いや何描いたら良いんだ?
っていう感じの状態だったんですが、それで前のトピックに戻ることになると。
まぁ、こういう日記系の記事を書く代わりにマンガにしてみるってのはアリな気がしてきましたね。
ちょっと描いてみるかぁ
本当はこんなこと書くのダサいから嫌だったんですがね
いっちょ前に絶望してる風ではありますが、世の中にはもっと大きくて重たくてどうしようもないほど暗い絶望もある訳で。
そういうのと比べると自分が感じてるそれなんてもうあまりにチンケでしょーもないゴミみてえな悩みでしかない。
自分でもそう思います。
でもまぁ、そんな夢見てたバカがノイローゼになってる様を楽しんでいただければなと思います。