まぁもう言ってもいいかと思うので言いますが、私は肉屋でバイトしてます。
お母様方やお父様方、おばさま方、おじさま方、そしてなんか自炊してそうな若い人のような方々に、ミンチやら切り落としやらを売って日銭を稼いでおります。
で、昨日豚ミンチ300グラムの注文が入ってそれを用意してる時に思ったことを書きます。
ミンチというのはつまりひき肉のことですが、ひき肉といえばマブラヴのまりも先生を思い出すワケですよ(オルタで一回戻ってきた時の)。
あー俺もし今死んだらミンチにしてネコ(家で一緒に住んでる猫がいます。仮にネコと呼称します)に食べて欲しいかなー。
そうしたら俺は少なくともネコが生きてる間はネコの中で生きるのかー。
なんて思いました。
んで、そういえばなんかそんな話あったなと思いまして。
主人公の飼ってた鳥が死んじゃって、埋めようと思って外に行ったらカラスかなんかに死体取られる。
主人公はブチギレるんですけど、一部始終をみてた人に「君の鳥はカラスになったんだよ」みたいなこと言われる……みたいな話。
生命としての私は死んだ時点で終わるワケですが、物質としては終わっていないってことですね。
バラバラにされた私はネコの体内で吸収され、その後、うんことして放り出される。
それが土に埋められて肥料となれば、私は土になるし、その土でトマトを作れば私はトマトになる。
そうやって他者の営みの中で、物質としての私が流れ続ける……(面倒なので病原菌や寄生虫の類いはこの際無視します)これも一種の万物流転ってヤツなのかなぁ、なんて。
でも実際はそうならないんですよね。
人は死ねば火葬されて骨は遺族が持ち帰るワケで。
それってつまり、物質的な万物流転から切り離されるって事なんじゃないかと。
すなわち「お前はもう生まれ変わるな」「お前は土にもトマトにもならず、ただお前のままでいてくれ」という願望が込められているのかもしれないなぁ……と若干センチメンタルな気分に耽っていたのでした。
……とかまぁそんな事をしてたからでしょう。
お客様に200グラムの豚ミンチを出して「あの、300って言ったんですけど(キレ気味)」と言われました(^◇^;)
モーシャシャケアシャセン!