いい感じの話が浮かんだ

 

今日はいい感じの話がひとつ浮かんだので、明日にでもネームに起こしてみようかなと思う。

普段はプロットに起こしてからネームにするのだが、今回はもう大体形ができている。

というのも、どうも自分は最近 物語作りの型みたいなモノが変化してきてるらしい。

 

以前はスティーブン・キングの「書くことについて」から学んだ「状況にキャラを放り込んで観察する」というスタイルで作っていた。

なので、一度頭の中で再生してみないと物語がどう決着するかが分からなかった。

 

しかし、ここ最近は「なんらかのモチーフがあって、それを抽象化して整理する」というやり方が多い。

この手法だと、言ってしまえば普段書いているブログや日記と同じことをキャラクターなどを通してやっているだけだ。

だからスタート地点を見ればある程度のゴールを予測できる。

ゆえにプロットなしでネームに行ける。

 

この手法は実際結構楽だし、なにより「これを伝えたいんだ!」というのがハッキリしてるので作家性みたいなモノを込めやすい。

その辺は利点だと思う。

が、作者にとって楽な作品ということは、読者にとっても楽な作品になる可能性が高いということでもある。

目の肥えた読者が見れば、読むまでもなくオチがバレるかも知れない。

そうなるとやはり以前までの状況を見守るスタイルに戻すべきなのか。

というか、こういうのって意図して戻せるもんなのか?

正直戸惑いが尽きないが、まぁやれるだけやってみるしかないよなぁ。

「笑われる人になりたい」

※今回の記事は偏見と個人的見解のオンパレードですのでご注意ください

 

 

[第115話]チェンソーマン 第二部 - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+

 

今週のチェンソーマンサイコーだっあー

 

というワケでチェンソーマンの感想を書いてっても良いんですが、ちょっと思った事があったのでそれについて書きたいと思います。

 

作中のセリフでこんな趣旨の言葉がありました

「わたしはなにが正しいかじゃなくて なにが間違ってないかばかり考えてる……」

「だからわたしはつまんない人間なんだ……」

みたいな。

 

この言葉にすごく共感してしまいました。というのも、自分も今の世の中に対して同じことを思っているからです。

今の世の中*1ってめちゃくちゃつまらないと思います。

それはコンプラとかポリコレとかの問題もありますが、それに加えてメタ的な笑い方が主流になったことも要因な気がしています。

 

例えばゼロ年代初期ぐらいの2ちゃんねる(まだ2ちゃんねるだった頃)はスレ主が提供するネタに対して「ちょwwwwおまwwww」「逃げてー!!>>1さん逃げてー!!」みたいな今見ると若干お寒い文言が割と頻出していました。

 

が、昨今はこのようなむきの言葉が少なくなっています。

どちらかと言うと「ちょwwwおまwwww」みたいなことを言ってる人に対して「ちょwwwおまwww とかどんな顔して打ってんだろ(嘲笑)」みたいな冷笑が多い印象。

これは個人的に同じ次元に立つか、一つ上の次元に立つかの違いのように感じています。

 

ちょおま系はそのモチーフに対して同じ次元に立って楽しんでいる、いわば当事者と言える状態。

そしてそれを冷笑するのは、上記のような発言を俯瞰して見おろす、いわば観察者*2のような状態と言えるのではないでしょうか。

 

例えるならば、仮面ライダーごっこに興じる楽しさと、ライダーごっこしてる連中をイジる楽しさ的な感じですかね?

あ、これ分かりやすいかも知れませんね。

ボケをしてる人と、ボケをしてる人を笑う人みたいな。

 

で、これを踏まえた上でチェンソーマンに話を戻します。

チェンソーマンで今回語られたのは、

「なにが正しいかじゃなく、なにが間違ってないかばかり考えてる」

 

これって

「なにを言ったら面白いかじゃなく、なにを言ったら笑われないかばかり考えてる」

と言い換えられるなと思いました。

 

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笑わせるのと笑われるのでは天と地ほども違う!

 

まさしくです。

笑われるのは辛いです。私も普段から色んな人に笑われてる感じがします。

道を歩いてるだけで笑われてる気がするし、友人にも家族にも知らない人にも笑われてるような気がします。

俺が3人目の地獄兄弟だ----------。

 

この状況から逃れるには、笑われる側から笑う側に行くしかありません。

なにを言ったら面白いか? ではなく、なにを言ったら笑われないか?

なにをしたら面白いか? ではなく、なにをしたらバカにされないか?

たしかにそうやって生きていれば他者から笑われることはないでしょう。

出る杭にならず、見えない空気感に阿って、歩調を合わせて生きていく。

それが多分、この場合の模範解答です。

 

だからこそ、自分は笑われる側でいたいなと思いました。

 

笑う側に行けば、他の人からバカにされたり傷つけられたりすることはありません。

が、それは人の意識の内側に留まり続けることであり、現状の世界をなにも押し広げることもない。

そしてそのような姿勢が最終的に文化を豊かにすることはない気がします。

 

まぁ長々と書きましたが、つまるところ自分は広義での「笑われること」をしていかないといけないなぁと感じました。

いつかこの世界に、なんらかの価値をもたらすために。

 

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深夜テンション!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!、!!!!!!!!!!

 

 

*1:世の中というかネットなのですが、昨今はネットが現実の延長になってしまったので、事実上『世の中』と呼称しても遜色ないかなと

*2:観測者よりも輪をかけて無機質なイメージ? 実験動物を眺めているような感じ

5連勤釘パンチ

 

年末年始の短期バイトが始まった。

久しぶりに労働という言葉の意味を体全体で味わっている。

あぁ、こんなだったっけなぁ。労働って。

1日4時間の勤務で、現在5連勤。

 

 

WOWOW 釘パンチ(1日目)

WOWOW 釘パンチ(2日目)

WOWOW 釘パンチ(3日目)

WOWOW 釘パンチ(4日目)

WOWOW 釘パンチ(5日目)

 

 

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たった4時間ではあるが、ニート生活からいきなり5連勤は流石に堪える気がする。

 

とはいえ、そんなに苦ではない。

業務内容はそれほど嫌ではないし(かと言って好きでもないが)やりたくないというほどじゃないからだ。(だからといってやりたいワケでもないが)

 

ただ、結構弊害はある。

こんだけ働いても2万くらいか〜とか、帰宅後にマンガを描く気力が残ってないとか。

前者はともかく、後者は深刻だと思う。

今の状況を打開するには社会的な意味においても、個人的な意味においても創作に精を出すしかないワケで。

にも関わらずそれをやれてないというのは本末転倒もいいところって感じなんだよなぁ。

 

一応行く前に少し進めるという事でどうにかやりくりしているが、当然進みは遅い……。

世の働きながらマンガ描いてる人たちは、そこん所どうやって取り組んでるんだろうか?

 

やっぱり休憩時間にファミレスとかで描くのか。

某ピエールさんに至っては満員電車の中で立ったままマンガ描いてるらしいし。

 

そういう人修羅しかやっていけない世界なのだろうか……

いや、まぁそんなことは無いんだろうが

なんだかなぁ。慣れなのか?

この生活に慣れれば難なくこなせるようになるのか。

だとしたら早く慣れたい……こうしてる間にも歳をとっていくのだ……。

 

身の回りでも結婚とか出産とか経験した者がチラホラ出てきた。

今の自分からすると「え!? 早すぎだろ!」と感じるが、よくよく思い返してみると子どもの頃は23とか24で結婚ってのに違和感を感じてなかった。

あの頃は23とか4なんて遠い未来のことで、現在からはかけ離れた場所に思えていた。

 

しかし現在、そのかけ離れた場所に自分はいる。

遠い未来は思っていたほど離れていなくて、断絶していると思い込んでいた場所は、間違いなく子どもの頃から地続きの場所にあった。

 

ここまでの道のりは長かったようでもあるし、短かったようでもある。

このままではまずい。

あっという間に終わってしまう。

そしてその終わりの間際になってまた「長かったようでもあるし、短かったようでもある」とかなんとかぬかすつもりなのか。

 

早く何かしなくては、どうにかしなくては……

そんな焦りばかりが募る毎日。

だけどそんなに悲観してないよ。

だって世界がこんなに大変なんだから!

自分の生活面とか精神面とか全く問題にならないくらい国内的にも国際的にもヤバい事が起きてる感

 

なんというか何があっても自分を強く持たなくては

マンガ描きを志す者として

 

マンガを描く人間になりたいといつだったかも書いた自分ですが、正直なところ、このブログだけだと「ホントにコイツマンガ描いてんのか?」という疑問が生じますね(^◇^;)

 

本当なら「今日書いたページ!」とか言って画像アップしたいんですが……

いかんせん画力が低くて……

つまるところ絵が下手なんです……

ホントに他人に見られるのが怖くて仕方ない

 

 

 

 

 

 

 

 

はい。

目を閉じて顔を伏せてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

今、「絵が下手」と言われて思い浮かべた絵がありますよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の絵はその32倍は下手です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこれが余のメラゾーマ(完成原稿)だ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とか言って載せたいんですが、やはり勇気が出ないです。

勇気をつけてヘタな絵を晒すのが先か、

画力をつけて勇気をつけるのが先か

 

できれば後者が良いんですがどうなるんでしょうかねぇ

 

バイトしながらマンガ家目指す人について

 

バイトしながらマンガ家目指すという人は多いと思うのだが、今日はその是非について考えていた。

で、その結論から書くとこうなる。

「マンガ家になるだけならバイトなんかしないほうがいい」

 

当たり前の話だが、マンガ家になるために必要なのは描く時間だ。

そしてバイトをすれば1日の可処分時間は減る。

なのでマンガ家に最短でなるにはバイトをしないでマンガを描くべきだと言えるだろう。

 

ただ、問題はここからで「マンガ家を続けていくにはバイトをしていた方がいい」という反転が起こる。

これは単純に経験の不足だ。

作品には作者の知識や経験が大いに反映される。

 

例えば人が死ぬシーンなんかがそうだと思う。

私は2019年に祖母を亡くした。

祖母が亡くなる日に私は大学が休みだった*1ので、ちょうどその瞬間に立ち会えた。

 

よく人が死ぬ間際に何かを言い残して死ぬみたいなくだりがある。

フィクションにおいてはありふれた展開だが、自分の祖母は(そしておそらく大部分の人が)そうではなかった。

祖母は入院していたのだが、酸素マスクをつけていて呼吸するたびに体をのけぞらせていた。

言葉らしい言葉は話せておらず、「おぉぉぁ」みたいなうめき声がたまに聞こえるくらいだった。

ずっと手を握っていたが、本当にあっという間に体温がなくなっていった。

道端でトカゲを見つけた時、ものすごい速さで逃げられた事があったが、アレに近かった気がする。

とても悲しくてとにかく泣いたのを覚えている。が、帰宅したら何気なくゲームで遊べるくらいの精神状態になった。

やったのは超ポケ。

一瞬目の前が真っ白になって倒れたが、数時間後には何食わぬ顔で晩飯を食っていた。

風呂に入ってる時に、最期にもう一度この家に帰してあげたかったなと思った。

その日は寝る前にグッバイレーニンを見た。

 

なんか暗い話になって申し訳ない。

つまり何が言いたいかというのをズバリ言おう。

それは「自分はもう『死ぬ間際に何かを言い残すシーン』を信じられない」という事だ。

 

あの時までは死というものをぼんやりと捉えていた。

だけど知ってしまった。

死というものがどれほど無骨なものかを。

なんと言うか、カッコいいもんじゃないんだ……と思った。

それ以来、創作でそういうシーンを見ると微妙な気持ちになる。

 

無論、例外もある。

本来何も喋れないほど苦しいのに、それを耐えてまで伝えたい事があるみたいな演出なら感動するし、納得もできる。

ただ、安易に泣かせにくる感じの死に際シーンが寒々しく見えるようになったというだけだ。

 

で、こういう事っていっぱいあるハズで。

それらをひとつひとつ潰していく事が、自分みたいに「冷める読者」を減らすことに繋がっていく。

 

だからマンガ家になりたいだけならバイトなんかしなくていいんだと思う。

バイトというか社会経験か。

社会経験を。

ただ、マンガ家になった後。

面白いマンガ……というか心に突き刺さるようなモノを描きたいのなら、社会経験を積んでいる方が有利に進められるんじゃないかと思う。

 

だからバイトは無駄じゃない!

バイトは怖くない!

でも……それでもっ!

守りたい世界(=実家に寄生してマンガを描く生活)があるんだ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイト探さんとなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※この記事にはおばあちゃん死ネタが含まれます。 

苦手な方はブラウザバックしてください。

まぁここまで読んだ時点で手遅れだろうがな! ガハハ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

すみません。

 

 

*1:とは言ってもこの頃は大学のモチベが0だったので毎日自主休講だった。お陰でもう一年遊べるドン!した。

内部と外部を繋ぐモノ、その名は「ヴァイス」!

 

友人から「ヴァイスシュバルツ分かる?」とLINEが来た。

友人とは中学時代からTCGを一緒に遊んできているので、そのなじみで声をかけてくれたのだろう。

 

ただ、あいにくヴァイスシュバルツには疎い。

自分はグリザイアの時に始めようと思ってカードを買ったが難し過ぎて一度もプレイしなかった。

のでよく分からないのが正直なところ。

 

しかし、友人が始めるなら一緒にやり始めるのも良いなぁなんて思う。

チェンソーマンのアニメが始まる前に「チェンソーマンのヴァイスシュバルツ参戦決定!!」みたいなツイートを見たので、チェンソーマンでデッキを組むのもアリだ。

 

そういえば、あの友人はヴァイスシュバルツでどのタイトルを使いたいのだろうか?

何か目当てのタイトルがあるのか。

当然聞いてみた。

 

すると、どうやらシンフォギアにハマったらしい。

なるほどなー。(シュバルツサイド)

 

いいよなシンフォ。

まぁ内容全然覚えてないけど(見たのがもう7年前になるので流石に忘れた)。

なんかアツい話だった気がするし、

なんかカッコいいアニメだった気もする。

あとなんか面白かった気もする!

 

 

そうか〜あいつは今シンフォにハマってんだなぁ〜。

とか思ったところでふと、「自分って最近何にハマったっけ?」と考えた。

 

直近でハマってたのはモンスト3DSだが、これは別に新しい何かではない。

てかそもそもストーリーモノじゃないし。

 

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2015.10.02 ニンテンドー3DS版「モンスターストライク」が12/17に発売決定!10/2より順次予約スタート!3DS版ならではのオリジナル要素満載!|モンスターストライク(モンスト)公式サイト

 

 

 

 

 

 

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うるせー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!黙

 

 

じゃあ最近自分は何にハマったんだろうか。

てか最近以前ほど何かにハマったか?

以前というのはつまり、マンガを描くとか小説を書くとかそういう事をし始める以前のことだ。

 

もしかすると自分は、自分の作品を作ることに精一杯で、外側に興味を持つことに力を割かなくなっているのかも知れない。

 

まだそうとは決まったわけじゃないが、もしそうならまずいと思う。

自分の内側に潜るのは創作にとっても重要な意味を持つが、それと同じくらい外側と向き合うことも大事だ。

今のままでは後者が欠けた状態になってしまう。

 

自分はもう少し外の世界に目を向ける事を覚えなくてはならないのかも知れない。

 

そのための一歩として……これから世話になるのもいいのかも知れないな。

 

もしそうなったらよろしく。

ヴァイスシュバルツ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ヴァイスシュヴァルツ

「名前間違えるようなヤツは要らない」

 

 

 

(^◇^;)(^◇^;)(^◇^;)(^◇^;)(^◇^;)(^◇^;)(^◇^;)(^◇^;)(^◇^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追記

 

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友人は間違えてませんでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お前一人で始めろ!

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりにインターステラーを見た

 

週に一度、家族で映像を見る会がある。

今週はインターステラーを見た。

これは自分の推薦で、以前見た時面白かった*1ので名前を上げた。

 

自分は一番好きなマンガが「進撃の巨人」で、

一番好きな小説が「あなたの人生の物語」なので、当然この映画も好きになった(まぁ一番の映画は別だけども)。

環境問題や食糧問題なんかも深刻になってきている昨今なので、他人事とも思えない切実さがあった。

まぁ、だからと言って他星に移住というのにはあまり賛同しないのだが。

地球の重力に魂を引かれた古い人類なので。

なんというか、スペースラナウェイするよりは地球をなんとかしたい。

 

そういえば家族から「タースやケースはメモリを変えても同一個体と言えるのか?」みたいな話が上がった。

それを聞いて真っ先に頭をよぎったのはシュタインズゲートだ。

 

シュタゲは高校のテスト期間中にどハマりして、勉強そっちのけでSSを読み漁った記憶がある。

その甲斐あってかその年は人生で初めて1桁代の点数を獲得したワケだが、その要因となったSS群の中にアレがあった。

タイトルは忘れたけどアレだ。

60過ぎた岡部がタイムリープして、オチあたりで「おいおい……これでも体感年齢は60過ぎてるんだぞ?」みたいな事を言うヤツ。

アレはアレで面白かったし、大いに楽しませてもらった。

 

ただ、ひとつ気になった事があった。

それは、記憶を消すということは殺人とかにはならないのか?という事だ。

まぁ、最悪……最悪2週間後の自分がタイムリープとかならまだいい。

しかし40年後となるとどうか?

40年後の自分と今の自分は同じだろうか?

 

もちろん違う。

 

私の40年前は、未だに父親のキャンタマと母親のランソーに分割された状態で格納されている。

そもそも人ですらない。

それぐらい離れた存在の記憶を上書きするというのは、もはや別人の意識を植え付けるにほど近いのでは?

 

そうなると人権というもののありかはどこにあるのかもよく分からなくなってくる。

意志? 意識? それとも記憶そのもの?

記憶を消すのは殺人ではないのだろうか。

 

なんか眠いからかよく分かんないこと考え出したな〜頭冷やして寝よ

 

うんこちんちん

 

*1:私は文系なので結構楽しめた(父娘の距離感が近すぎて若干気持ち悪い感は否めないが)が、理系の人からは結構不評らしい。化学考証周りが割と嘘っぱちなんだとか。