※今回の記事は偏見と個人的見解のオンパレードですのでご注意ください
[第115話]チェンソーマン 第二部 - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+
今週のチェンソーマンサイコーだっあー
というワケでチェンソーマンの感想を書いてっても良いんですが、ちょっと思った事があったのでそれについて書きたいと思います。
作中のセリフでこんな趣旨の言葉がありました
「わたしはなにが正しいかじゃなくて なにが間違ってないかばかり考えてる……」
「だからわたしはつまんない人間なんだ……」
みたいな。
この言葉にすごく共感してしまいました。というのも、自分も今の世の中に対して同じことを思っているからです。
今の世の中*1ってめちゃくちゃつまらないと思います。
それはコンプラとかポリコレとかの問題もありますが、それに加えてメタ的な笑い方が主流になったことも要因な気がしています。
例えばゼロ年代初期ぐらいの2ちゃんねる(まだ2ちゃんねるだった頃)はスレ主が提供するネタに対して「ちょwwwwおまwwww」「逃げてー!!>>1さん逃げてー!!」みたいな今見ると若干お寒い文言が割と頻出していました。
が、昨今はこのようなむきの言葉が少なくなっています。
どちらかと言うと「ちょwwwおまwwww」みたいなことを言ってる人に対して「ちょwwwおまwww とかどんな顔して打ってんだろ(嘲笑)」みたいな冷笑が多い印象。
これは個人的に同じ次元に立つか、一つ上の次元に立つかの違いのように感じています。
ちょおま系はそのモチーフに対して同じ次元に立って楽しんでいる、いわば当事者と言える状態。
そしてそれを冷笑するのは、上記のような発言を俯瞰して見おろす、いわば観察者*2のような状態と言えるのではないでしょうか。
例えるならば、仮面ライダーごっこに興じる楽しさと、ライダーごっこしてる連中をイジる楽しさ的な感じですかね?
あ、これ分かりやすいかも知れませんね。
ボケをしてる人と、ボケをしてる人を笑う人みたいな。
で、これを踏まえた上でチェンソーマンに話を戻します。
チェンソーマンで今回語られたのは、
「なにが正しいかじゃなく、なにが間違ってないかばかり考えてる」
これって
「なにを言ったら面白いかじゃなく、なにを言ったら笑われないかばかり考えてる」
と言い換えられるなと思いました。
笑わせるのと笑われるのでは天と地ほども違う!
まさしくです。
笑われるのは辛いです。私も普段から色んな人に笑われてる感じがします。
道を歩いてるだけで笑われてる気がするし、友人にも家族にも知らない人にも笑われてるような気がします。
俺が3人目の地獄兄弟だ----------。
この状況から逃れるには、笑われる側から笑う側に行くしかありません。
なにを言ったら面白いか? ではなく、なにを言ったら笑われないか?
なにをしたら面白いか? ではなく、なにをしたらバカにされないか?
たしかにそうやって生きていれば他者から笑われることはないでしょう。
出る杭にならず、見えない空気感に阿って、歩調を合わせて生きていく。
それが多分、この場合の模範解答です。
だからこそ、自分は笑われる側でいたいなと思いました。
笑う側に行けば、他の人からバカにされたり傷つけられたりすることはありません。
が、それは人の意識の内側に留まり続けることであり、現状の世界をなにも押し広げることもない。
そしてそのような姿勢が最終的に文化を豊かにすることはない気がします。
まぁ長々と書きましたが、つまるところ自分は広義での「笑われること」をしていかないといけないなぁと感じました。
いつかこの世界に、なんらかの価値をもたらすために。
深夜テンション!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!、!!!!!!!!!!