「悩んでる人の助けになれば」という欺瞞

「悩んでる人の助けになれば」という文言があります。

個人的な印象ではミュージシャンでこれを口にする人が多い気がします。

先日もそういう感じの旨を語ってた人の曲を聴いてみました。

で、その時に感じたのですが、これって結局欺瞞なのではないかなと。

 

今回聴いた曲は、要約すると「自分はこんなに辛かった! でもこうしたらうまくいった! お前らも頑張れ!」みたいな感じでした。

これを聴いて「ありがとう! 俺頑張るよ!」と思うよりも先に「お前ただ自慢したいだけだろ」と思ったのです。

それ励ましにかこつけて自慢したいだけじゃん、みたいな。

なんか「俺なんかもっと酷ぇよ〜。だってさ〜〇〇だぜ〜?」みたいな感じでさも自分は不幸みたいな言い回しするけど冷静に内容だけを聴いてみると自慢にしか聞こえないアレみたいな、そういう印象を受けました。

 

よくよく見渡してみると、世の中そんな曲が溢れかえっています。

正直怒りを覚えました。

ふざけんじゃねえよ。

なんだかんだ言ってもお前はうまく回ってんだろ。

辛くて苦しくてどうにか頑張ってそれでもどうにもならなかった現実をどう受け止めるか?

真に人を勇気付けるなら描くべきはそういうものじゃないのか?

どん底に落ちてどうしようもなくなって足掻いてもがいて苦しんで、そんなヤツがどうにか状況を打開したりどうにもならなくて潰されてしまったりして、その現実をどうやって乗り越えたり受け入れたりするのか?

その過程、いわば絶望のプロセス。それを描く。

そういう話こそ、本当の意味で人を勇気づけるのではないかと思います。

そして同時に、自分はそういうものを作りたいと思いました。

 

だから今回聴いたあの曲には感謝しています。

僕に書くべきものを教えてくれてありがとう。